デフリンピックとは?~聴覚障害者のオリンピック~

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みなさんは「デフリンピック」をご存知でしょうか?これは聴覚障害者のオリンピックのことです。

パラリンピック」と同じく国際的なスポーツ大会ではありますが、パラリンピックほどの知名度は日本ではないかもしれません。

オリンピックと同じく、4年に1回、夏季大会と冬季大会が開催されます。ルールはオリンピックとほぼ同じですが、聴覚障害がある人のために様々な工夫がなされています。

この「デフリンピック」というのは英語の「ろう者(Deaf)+オリンピック(Olympics)」の造語です。

夏季大会は1924年にフランスで、冬季大会は1949年にオーストリアで初めて開催されました。

そんなデフリンピックについてまとめました。興味がある方はぜひご覧ください。

■そもそも聴覚障害って?

聴覚障害は大きく2つに分けることができます。

1つ目は「感音性難聴

これは音を情報として脳に伝える神経に障害があるもので、補聴器などをつけても音を感じるだけで識別がしづらいのが特徴です。

神経がどのような状態かによって症状も変わり、音を「雑音」としてしか感じられない人から、補聴器などがなくてもある程度判別することができるまで様々です。

2つ目は「伝音性難聴

これは鼓膜などの音を聞き取る器官に障害がある状態です。

音が聞き取りづらくても、補聴器や人工内耳をつけることによってある程度は聞き取ることができるようになります。

しかし、音が大きければ聞き取りやすいという訳ではありません。

あまりに大きい音は逆に聞き取りづらく、補聴器などを作る際は眼鏡と同じようにその人に合うように調整する必要があります。

鼓膜、神経という風に障害が現れる場所が異なるため、2つを併せ持った人もいます。

医学的には‶25デシベルでようやく聞こえる〟という場合に「聴覚障害」と診断されます。

25デシベルとは、人のささやき声や木の葉の擦れる音、雪の降る音などといった非常に小さな音をさします。

聴覚障害が生じると

・会話がしにくい
・情報が得にくい
・コミュニケーションが取りにくい

といった様々な弊害が現れますが、聴覚障害と一口に言っても人によって聞こえるレベルはそれぞれですので、補聴器なしでもなんとか生活できるという人もいれば、対策をしても全く聞こえないといった人まで様々です。

さて、デフリンピックに参加できる人の条件としては「聞こえの良い方の耳が55デシベル以上」とされています。50デシベルでエアコンの室外機、また静かな事務所の中の音くらいです。

■聴覚に障害があるとスポーツをするときどんなハンディがあるの?

聴覚に障害があっても、それは目には見えません。しかし、スポーツをする上で健常者に比べてハンディがあることは研究からも確かだとされています。

まず、1つ目のハンディとしては、からだのバランスが取りにくいということです。

耳には「からだのバランスを取る」という役目もあります。

そのような中、健常者と同じようにスポーツをすることは難しいものです。

2つ目は耳が聞こえないことによって「情報が入りにくいこと」です。

例えば、健常者がチームでプレーする競技なら「パスちょうだい!」「向こうに投げるよ!」など声による情報共有をすることによって競技を有利に進められるようにすることができます。

また1人でプレーする競技でも、音による情報は目で見る以上にいろいろなことを感じ取るのに必要なこととなってきます。

例えば打球音や風の音などです。

このように耳に障害がない人は「音」により様々な情報を取り入れながらプレーすることができますが、聴覚に障害があるとそれができません。

そのため、アイコンタクトを送り合ったり手話で素早くコミュニケーションをとり、別の作戦を立てていくことが必要になります。

このように「目に見えないハンディ」に対する視覚的な情報保障や手話によるコミュニケーションが必要だからこそ、聴覚障害がある選手同士で競技をする意義があるのです。

「耳が聞こえないこと」はハンディともなりますが、その競技の「見どころ」にもなります。

ハンディがありながらも素早いアイコンタクトや手話でコミュニケーションを取りながら、健常者と変わらないプレーをする選手たちの活躍は見ものだと思います。

■聴覚障害者への配慮は?どんな競技がある?

デフリンピックに参加できる人としては

「音声の聞き取りを補助するために装用する補聴器や人工内耳の体外パーツ等を外した裸耳状態で、聴力損失が55デシベルを超えている聴覚障害者で、各国のろう者スポーツ協会(日本では「全日本ろうあ連盟」)に登録している者」

とされています。

例えば、片耳が55デシベルで、もう片方の耳が60デシベルであれば参加する資格があるということです。

なお、デフリンピックでは聴力によるレベル分けはされていません

また、競技会場に入ったら練習時間か試合時間かは関係なく、補聴器などを使用するのは禁止とされています。

補聴器などは意外と外し忘れてしまうことが多いので、競技会場に着く前に選手やスタッフがお互いにチェックすることもあります。

これは「耳の聞こえない者同士が公平にプレーする」という観点から定められています。

競技としては、現在(2022年)では夏季21、冬季5の合計26の種目が公式競技として認められています。

2017年にサムスン(トルコ)で行われた第23回夏季大会には86の国や地域の2,858人が参加しました。

日本では11競技に選手108人、スタッフ69人の選手団を派遣し、金メダル6個、銀メダル9個、銅メダル12個を獲得しました。

デフリンピックにはどのような競技があるかというと、夏季大会では

・陸上
・バドミントン
・バスケットボール
・ビーチバレーボール
・サッカー
・マウンテンバイク
・空手
・テニス
・レスリング
・水泳
・卓球
・ボウリング
・バレーボール

などがあります。

冬季大会では

・アルペンスキー
・カーリング
・スノーボード
・アイスホッケー
・クロスカントリースキー

などがあります。

競技はスタートの合図や審判の声の合図を視覚化すること以外は、オリンピックと同じルールで行われています。

陸上などのスタートの合図は、赤・黄・青の順で光るランプを用います。赤、黄、青の順にライトが光り、青になった時がスタートです。

水泳などのターンをする種目では、最後のターンの際、審判が水を棒でかき回して競技者に知らせます。またバスケットボールでは、審判の笛の代わりにゴールのバックボードが光ります。

このように、聴覚に障害があっても健常者と同じようにプレーできるように視覚的な工夫がなされているのです。

これらは障害者差別解消法の「合理的配慮」を応用したものであると言えます。

■デフリンピックの歴史

障害者のオリンピックに「パラリンピック」がありますが、そこに聴覚障害者は参加していません。それは何故でしょうか?

その理由は大きく分けると2つあります。

1つ目はデフリンピックの方が、パラリンピックより歴史が古いということです。

第1回夏季大会は1924年にパリで行われました。この時の参加国は9か国、145選手。

冬季大会は1949年にオーストリアで行われました。この時の参加国は5か国、33選手。

しかし、第1回パラリンピックが開かれたのは1960年です。これを見るとデフリンピックのほうが歴史があることが分かりますね。

1989年に国際パラリンピック委員会が発足した際、国際ろう者スポーツ委員会も加盟していましたが、コミュニケーションの取り方に違いがあること、またデフリンピックの独創性を維持するという理由で1995年に委員会を離脱しました。

そのため、パラリンピックに聴覚障害者が参加できない状態が続いています。

国際ろう者スポーツ委員会の「独創性」とは、コミュニケーションすべてが国際手話で行われ、狭義のスタートの音や審判の声による合図を視覚的に工夫するという点以外、オリンピックと同じルールで運営されるというところにあります。

また、パラリンピックがリハビリテーションを重視する考えで始まったのに対して、デフリンピックは聴覚に障害がある人同士での記録重視で始まったことに違いがあります。

しかし現在は、両方とも障害の存在を認めたうえで、競技における「卓越性」を追求するという考え方に変化しています。

ただし、デフリンピックは日本では一度も開催されたことがありません(2022年度時点)

アジアでは2009年に台湾で第21回が開催されましたが、中国でも韓国でも開催されたことはありません。

そのため日本では、デフリンピックについてオリンピックやパラリンピックほどの知名度がないのかもしれません。

日本では、第25回・2025年に開かれる大会の招致活動が大詰めを迎えています。次回の開催地は、2022年9月にウィーンで開かれる国際ろう者スポーツ委員会の総会で決定する予定です。

日本でデフリンピックが初開催されることを願います。

●日本が参加したのはいつ?

日本人が初めてデフリンピックに参加したのは1965年にアメリカで開催された夏季大会。

この大会には日本人代表として7人が派遣されました。

冬季大会にはその2年後の1967年に参加することとなります。この時は3人の選手が派遣されました。

2013年にブルガリアで行われた第22回夏季大会では、219人の選手・スタッフが派遣されました。この時に獲得したメダルは金メダル2個、銀メダル10個、銅メダル9個となっています。

●君が代の問題

さて、表彰式では金メダルを獲ると君が代が斉唱されます。デフリンピックもこの点はオリンピックと同じです。

しかし、実は「君が代」の手話は統一されたものではなく、日本の金メダリストたちは各々の手話で行っていたのです。

それではいけないとスポーツ庁が動き、全日本ろうあ連盟が主体となり、統一した君が代が作成されました。

統一された新たな君が代の手話がデフリンピックで見られるのが楽しみですね。

■デフリンピックに出場するには?

1.デフリンピックの情報を得る

・学校での部活動などで顧問から情報を受け取る
・同じ聴覚障害の仲間との出会い

など、デフリンピックの情報を得る方法はいろいろあります。

2.団体に連絡を取る

・自分が得意とする・デフリンピックで参加したい種目のデフスポーツ競技団体や自分が住んでいる都

 道府県ろう協会に相談する

3.競技団体が実施する合宿もしくは大会に出場する

4.各競技団体が定める強化指定選手の条件をクリアする

5.強化選手として登録

・デフリンピックに向けた強化合宿に参加

6.日本代表選出、デフリンピック出場へ

以上、簡単に流れを解説させて頂きました。このような流れを経てデフリンピックへ参加する資格を得ることができるのです。

またデフリンピックへの出場の選考基準は以下の通りです(2022年時点)

  1. 第24回夏季デフリンピック競技大会の参加資格を満たしている者
  2. 当該競技においてメダル獲得または入賞の可能性のある者
  3. わが国を代表する選手として推薦できる者(健康状態に問題がないこと、代表選手として 不適切な行動がないこと、反社会的勢力との関わりがないことなど)
  4. 上記の条件に加え、2025年デフリンピック競技大会でのメダル獲得・入賞等、将来的な活躍が期待できる次世代の者

こちらは全日本ろうあ連盟スポーツ委員会の選手選抜の基準です。

各スポーツ競技の協会が日本代表選手を推薦して、全日本ろうあ連盟スポーツ委員会がどの選手が出場できるか決定するという流れです。

また、出場する選手は全日本ろうあ連盟の会員でなければならないため、新しく参加する選手は2020・2021年度において一般財団法人全日本ろうあ連盟会員でないと参加資格が得られません。

前大会(サムスン・2017)に出場した選手については、2018・2019・2020・2021年度にて全日本ろうあ連盟の会員であることが前提とされています。

デフリンピックを目指している方は、出来るだけ早く全日本ろうあ連盟に加入しましょう。

しかし、もちろん連盟に加入するだけでは参加選手にはなれません。

各スポーツの競技団体主催の大会や記録会に参加し、日本代表となれるような優秀な成績を収める必要があります。

詳しい選抜条件などは、各スポーツの競技団体に問い合わせてみてください。

■まとめ

以上、デフリンピックについてルールや配慮、参加資格、参加基準について解説してきましたが、いかがでしたか?

デフリンピックはオリンピックやパラリンピックほど知名度があるとは言えません。

しかし、聴覚障害がある方の中にもスポーツ大会などで素晴らしい成績を残している方もいらっしゃいますし、オリンピックのように大舞台で活躍したいという方もいるでしょう。

そんな人たちのためにデフリンピックはあるのです。

聴覚に障害があるからといってスポーツができない、ということはありません。

これから啓蒙活動を行ったりマスメディアが聴覚障害がある方のスポーツについて取り上げることによって、デフリンピックの知名度も上がっていくと思われます。

2025年のデフリンピックについては日本でも招致活動が行われているため、日本でデフリンピックが開催されるかもしれません。

このコラムを読んで頂いて、デフリンピックに興味を持ってもらえた方へ。

あなたも、デフリンピックの知名度向上についてできることはないか、考えてみてはいかがでしょうか。

デフリンピックについてはインターネットにも様々な情報があります。

気になることを調べてみて、周りの人との会話の中で話題に上げるだけでも、デフリンピックの輪は広がっていきます

手話を勉強してみるのもいいですね。聴覚障害への理解につながります。

デフリンピックの知名度向上に努めるとともに、聴覚障害への理解も深め、日本の国旗を背負って頑張ってくれる選手たちを応援していきましょう。

著者 もち猫
福祉系の大学卒業と同時に社会福祉士、精神保健福祉士資格取得。統合失調症。自分の体験談なども織り交ぜながら、主に福祉系のコラムの執筆を担当。